私が飯舘村の犬猫を訪ねはじめた頃の印象深いできごとです。
3.11から1年の日に亡くなった老犬「マル」。
雪夜に犬小屋でひっそり横たわるマルの姿に、私は人だけでなく犬猫もまた原発事故の被害者と感じました。
3.11 から1年 原発被災地でひっそり旅立った老犬マル
2012年3月10日の朝が、私がマルに会えた最後です。
小屋の中、マルは目を閉じ横たわっていました。
マルに残された時間が僅かだと、弱々しい呼吸音が私に伝えてきました。
「また後で来るからね」
声を掛ける以外に、私にできることはありませんでした。
日が落ちてから再びマルを訪ねると、マルの小屋から猫が走り去っていきました。
マルの最後の時間、猫はマルに寄り添っていたのかもしれません。
母屋から漏れる灯りを失った庭は、あまりにも寂しく静かでした。
1度しか見られなかった無表情な老犬マルの心
マルが亡くなる一週間前、私はマルにはじめて会いました。
「気になる犬がいる」
私が同行したボランティアチームへ、別のボランティアチームから「マルの様子を見てもらいたい」と話がありました。
小屋から姿を現したマルは、のんびりした足取りで庭を歩き回りました。
無表情なまま尻尾をふることもなく、人に駆け寄ることもありません。
マルの感情が伝わってきませんでした。
しかし帰り際、マルは弱々しい足取りで通りまで私たちを追ってきました。
「もう帰るの」とマルの心の声が聞こえた気がしました。
今から思えば、マルの体は旅立つ準備をはじめていたのかもしれません。
若い頃のような力強さも無邪気さも残っていませんでしたが、マルなりに歓迎の意を伝えてくれたのだと思います。
飼い主の選択「最後の時まで故郷で」
その夜、マルを再び訪ねるとマルは小屋で横になっていました。
年老いたマルが弱っていたのは明らかです。
ボランティアチームの方が、偶然出会った「いいたて全村見守り隊」にお願いして、飼い主と電話で話しました。
「マルの体が楽になる方法があるかもしれない。だからマルを病院に連れていきたい」
しかし、飼い主はマルに故郷で最後の日を迎えてほしいと考えていました。
飼い主は、頻繁に飯舘村に戻ってきていたため、マルの状態をわかっていました。
病院に連れて行っても有効な治療があったかわかりません。
マルが知らない場所で、不安を感じるだけだったかもしれません。
マルに手を差し伸べようとしたボランティアにも、マルの死を受け入れ故郷での最後を望んだ飼い主にも、マルへの愛情がありました。
あの時、どうするのが良かったかは正直わかりません。
ただ、マルを一番知る飼い主の意志を尊重したボランティアの行動は、正しかったと思います。
人だけでなく犬猫も被害者
数十年以内に大地震が発生すると予測されている私たちの国には、今も50基を超える原発が存在します。
近年、原発の是非は、電力の安定供給や脱炭素化といった観点から語られることが多くなっています。
しかし、私がまず一番に考えるのは、福島で目にした原発事故の被害です。
原発事故は、人々の営みを破壊しました。
それにともなって、多くの犬猫の暮らしも一変しました。
生業を失った被災者が残した「原発さえなければ」の言葉を忘れてはいけないと、私は思っています。
もし原発がなければ、福島県の被害はもっともっと少なかったのは明らかです。
どれだけの人が心を痛めたか、私は心に留め続けます。
飼い主と離れて暮らしたマルの最後の一年がどんなだったか……
同じことが繰り返えされない道を、私たちが選ぶ未来を強く願っています。