
はじめて福島の被災地を訪れた日
私がはじめて飯舘村の犬猫を訪ねたのは2012年2月。 話は3ヶ月遡ります。 2011年11月、私は一度福島県の被災地を訪れました。 犬猫が取り残されていると知ったばかりで、私はとにかく自分の目で見なければの思いでした。 警戒区域で活動する犬猫レスキューのボランティアチームに同行し、飯舘村の東に位置する南相馬市へ。 事故を起こした福島第一原子力発電所から20km地点の検問でボランティアチームを見送った後、私は津波の被害を受けた地域を回っていました。 人けの少なさ、行き交う警察と自衛隊車両の多さ。 見渡す限り破壊された建物や車、施設の壁には背丈より高い位置まで泥がこびり付いていました。 ここで人が亡くなっている。それが、ひと目でわかる津波の傷跡。 海岸線から1キロか2キロか、かつて人々が暮らしていた場所に打ち上げられた漁船。 カメラを手に肩を落とす私の傍らに、地元の方が車を止めました。 「何やってるんだ?ここでたくさん人が死んでるんだぞ」 当時、私はスポーツカーに乗っていました。もしかしたら派手な服を着ていたかもしれません。 地元の人からしたら、興味本位の冷やかしで写真を撮っている奴に見えたかもしれません。 「こんなに酷いとは思っていませんでした」 私が暮らす東京では、日常がほぼ戻っていました。 被災地と東京とのあまりのギャップに混乱しました。 被災地にはあの日から1歩も前に進んでいない場所がある。 私は福島に再び足を運ばなければと思いました。再び福島の被災地へ・はじめての飯舘村
そして、年が変わり2012年2月19日。 私は、福島の被災地を再訪しました。 その日が飯舘村の犬猫を訪ねた最初です。 なぜ、犬猫なのか? 当時から私は猫と暮らし、カメラマンとして猫の撮影もしていました。 犬猫が避難区域に取り残されたと知ったとき、現地へ行って犬猫の姿を撮らなければとの想いが自然に湧いてきました。 カメラマンとして事実を伝えることを超えて、犬猫のために自分にも何かできるかもしれないとも思ったためです。 それまでの私は、放射能が怖くて福島へ向かおうとさえ思っていませんでした。 震災や原発事故で被害を受けた人々や放射能被害は、多くのメディアや著名なフォトジャーナリストの方たちが取材をしていました。 問題が余りにも広く大きく、カメラマンになって数年だった私には、とてもとても扱えるものではないとも感じていました。 そして、なぜ飯舘村の犬猫だったのか? それは、飯舘村が誰でも立ち入れる場所だったからです。 警戒区域に入るには政府の許可が必要でした。 そして、取材や犬猫レスキューを理由にした入域は認められていませんでした。 余談ですが、福島再訪までに時間を要したのは、雪道に備えてスポーツカーから4WD車に乗り換えたためです。原発被災地で最初に出会った犬の親子

原発被災地で最初に出会った猫

