飯舘村で出会った猫で、私が特に深く関わった印象深い1匹が「うた」。
2012年2月から2016年4月まで、私はうたのいくつかの転機に関わりながら、彼女を心配をしていました。
「飯舘村にはおよそ200の犬と400から500の猫が住人の避難後に取り残された」と聞けば、大変な事態と誰しもわかります。
しかし、そう聞いても私は現地の状況をうまく飲み込めませんでした。
飯舘村に足を運び何頭もの犬猫との交流を重ねるうちに、少しずつ現地で起こったことが見えてきました。
そして、その多くは私たちの社会が抱えている問題と私は気づくことになります。
決して原発事故の被災地だから起こったことばかりではなかったのです。
原発被災地の犬猫の物語を通して、私が見た世界をお伝えしていきます。
「うた」のうれしいこと 被災地の猫と我が家の猫の共通点
「うた」が特に人懐っこい飼い猫であるのは、すぐにわかりました。
飯舘村では猫の外飼は普通です。
たとえ飼い猫であっても、猫が通常持ち合わせる警戒心が働いていれば、野良猫と見分けがつかないことがあります。
うたは、初対面から私の足元に体を寄せてきました。
私が知る限り、うたのように振る舞う猫は彼女を含めて3匹でした。
10年ほど猫と暮らしていた私は、猫のかわいらしい性質のひとつをとても気に入っていました。
「私はあなたが好きです」
猫は心許した人に頻繁にそう伝えてくれます。
スキあらば私の膝上で丸くなったり、用はなくとも私の側に来たり、甘えた声で話しかけてきたり。
訪問を重ねるうち、うたは私の側にいる時間が少しずつ増えていきました。
うたは、私に我が家の猫を思い出させました。
うたにとって、飼い主不在のストレスは大きかったはずです。
フードに目もくれず、うたは真っ先に人の手足のぬくもりを感じようとしていました。
人が来るとご飯がもらえるからではなく、人が来ること自体がうたの喜びのように見えました。
うたの仲間 大きな犬「ライト」
当時、犬との交流経験がほぼ皆無だった私は、大きな体の「ライト」にどう接したらよいのかわかりませんでした。
鎖の長さの限界までこちらに近づき、大きな声で激しく鳴きます。
恐る恐る近づくと横たわりお腹を見せます。
自由に歩き回れる猫と違い、鎖に繋がれた犬たちは人の力がなければ生きられません。
原子力発電所の事故から1年の頃は、まだ放射線量も高く人々の放射線への恐怖も大きかった時期です。
いつまで飯舘村住民の避難が続くのか、はっきりわかっていませんでした。
先が見通せない中、飼い主はライトの行く末を案じていました。
そして、ライトは2012年の夏前に飯舘村を離れ、新しい飼い主との暮らしをスタートしました。
ちなみに、うたは大きくて子供っぽいライトを多少疎ましく思っていたようです。
うたがライトに近づく場面を私は見ていません。
ライトの鳴き声が響くと、うたは姿を隠すこともありました。
うたの相棒 黒猫男子
人は大好きだけれど、猫にはあまり興味がないうた。
そんな彼女が仲間と認めていた雄の黒猫がいました。
うたほど人懐っこくなかった黒猫は、いつも姿を見せる訳ではありませんでした。
冬に会ったのを最後に、彼は姿を消してしまいました。
そして、庭の住人はうただけになりました。
黒猫のエピソードを私は持ち合わせていませんが、彼にそっくりな女の子がその後我が家の一員になります。
うたの子供たち
2012年春、うたは4匹の子猫の母になりました。
野生動物の行動範囲が広がりはじめた環境で、うたは子猫たちを育てました。
この頃飯舘村では数多の子猫が生まれ、ボランティアの間では「いくら子猫を保護してもきりがない」といった声が上がっていました。
そんな中、私はうたの子供たちを我が家に連れて行く決心をしました。
しかし、それはうたを再び孤独にすることを意味します。
うたの子供たちにまつわる物語は、次の記事でまとめたいと思います。